仕事のやる気が出ない人へ【伊能忠敬を知る】
私は測量の仕事をしてるんですけど
最初にこの測量の仕事を始めたときに、
先輩に言われたのが、この測量の仕事は100点か0点しかない。
「君が一箇所、ミスを犯せばそれは90点ではない0点だ」
それを聴いて、「うわっ責任重大な仕事だワクワクするな」とは思わなかったんです。
どっちかというとわくわくというよりは、面白くねえ仕事だなという感じでした。
じゃあ何で、この測量の仕事してるのって言うと、この仕事しかできないし、
ちょっと儲かるんですよ。
どうしても仕事が好きになれなかったんです。
でも、標語カレンダー見ても、職場の教養を読んでも、講話を聴いても
「その仕事の由来を知りなさい」ということが書かれています。
由来を知れば、その仕事が好きになるとまあそういうものかなと
Amazonで伊能忠敬の書籍を買いまくって、
とりあえず、そのまま書棚に入れて積ん読ですよね。
あるときに、買っておいた伊能忠敬の本を読んでみた。
そうするとこの人の人生ってすごいんですよね。
日本地図を作った偉業で知られてますけど、それは隠居した後のおまけのようなエピソードです。
もともと商人として天才で、日本全国で90万人が死亡した「天命の大飢きん」のときに、事前に予測して米を買い占める。
そして、その米を周囲の反対を押し切ってに配った。
佐原村の人、隣の村の人、またその隣村の人にまで、来る人、来る人、来る人に配った。
日本で90万人が餓えと疫病で死んだ中、自分の佐原村からは一人の死者も出さなかった。
そして、米を江戸で売って、莫大の資産を築きあげた。
まさに江戸時代の孫正義だったんです。
そして51歳で隠居して、以前から好きだった天文暦学に没頭する。
地球の円周を知りたい。そのためには、緯度1度の距離を測って360掛ければいいんじゃないのということで、
55歳で日本全国測量の旅に出るわけです。
最初は歩測で測りました。
一歩を69センチ、69センチ、69センチ同じ歩幅で歩くように何度も練習を繰り返した。
水たまりがあっても、人がいても、馬のふんがあっても、よけずにまっすぐに歩いた。
それでも、歩測ではやはり誤差が大きい。
そして途中からは、間縄という縄にメモリを付けたものを使って距離を測定する。
でも間縄は、濡れると伸び縮があって正確には測れない。
そして鉄鎖という1辺が1尺、30センチの鉄の鎖を使いました。
そして日本全国を測量して、北海道を除く全ての地図を作り上げる。
伊能忠敬の死後に、弟子たちが忠敬の死を伏せて3年かけて日本地図を完成させます。
後にペリーが黒船でやってきて、伊能図を見て、「こんな精密な地図を作れる国やばくね。」といって
日本を攻撃しないで帰っていった。と言われています。
今の時代に比べたら、あんなにお粗末な道具で、精密の地図を作り上げる。
そして宇宙飛行士毛利さんは、「宇宙から見た日本は伊能忠敬の地図と同じだった」と言っています。
実際に、自分の仕事のルーツを調べてみて、興味は出てきます。
これからも、この測量の仕事で、ちょっとだけ儲けていこうと思います。