【土地家屋調査士 中期】開業して10年目を振り返る
土地家屋調査士事務所の開業から20年を振り返るということで、
前回は開業当初の話しをしました。
今回は、第2弾ということで、開業から10年前後にどういうことがあったのかをお話します。
まず会社員時代は、メンタルがボロボロにやられていました。
つぎに独立開業で、バラ色の生活でした。
そして開業から10年目くらいでどうなったかと言うと、これがどん底に落ちるんだよ。
もちろんリーマンショックみたいな外的な要因もありました。
でも根本的な原因は、自分自身です。
年収が400万円から短期間で1800万円になると人はどうなるでしょうか?
そうなんです。
人は、アホになるんです。
今回の動画を見ていただければ、開業からおおよそ10年前後で陥る落とし穴がわかります。
今回は、ちょっと恥ずかしい杉山事務所の黒歴史を披露します。
ぜひ最後までご覧ください。
どーも(^^)
開業20年、土地家屋調査士の杉山です。
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それでは開業10年目を振り返る3つのポイントをお話します。
1つ目は、社員さんとの関係はズタボロに
2つ目は、リーマンショックで売上が3分の1になった
3つ目は、酒を飲みすぎて人生転落モード
1つ目は、社員さんとの関係はズタボロに
その当時は、おおよそ4000万円くらいの売上を社員さん3名と私の4人体制で業務を行っていました。
事務所が伸びるとともに、
開業当初の謙虚さはなくなって、勘違いはなはだしいアホになっていくわけです。
お話をするのも非常に恥ずかしいのですが、
その当時は挨拶というのは、目下から目上のものにするものだと思ってたんですよ。
社員さんが「おはようございます」とあいさつをしても、こっちはパソコンの画面を見ながら「おはよう」みたいにボソッと言うみたいな感じです。
決してほめたり、ねぎらうこともなく、「まだこの仕事終わんねえのか、時間かけ過ぎなんだよ」という始末。
「地目変更なんて、ドラクエでスライムみたいなもんなんだよ。秒でやっつけろよ。」
うわ~アホですね~
掃除は社員がするものだと思ってたんですね。
社員さんには、朝来たらまず掃除をしなさい。
床、トイレ、デスク周り、社員さんに掃除をしてもらう。
まあこれはいいですよね。
自分は掃除しないんですよ。ひどいですよね。
そんな感じなので、社員さんの不満、不満、不満はどんどん溜まっていきます。
不満がたまるとどうなるかと言うと、だいたい社員さんというのは違う形でリベンジしてきますよ。
仕事をしなくなって行くんですよ。
それでどうしょうもなく、その時の社員を1名解雇したんです。
それが波紋を呼んでもっと事務所がメチャクチャになっていった。
結局、その当時の社員さんが全員退職するまでは、その流れが続いていきました。
当時いてくれた社員さんは、ひどい事務所で働いたと思っていることでしょう。
当時の社員さんには申し訳ないんと今では思います。
あってはいけないことなんですけど、自分が会社員のときにされた理不尽を自分がやっちゃうんですよね。
2つ目は、リーマンショックで売上が3分の1になった
開業から順調に伸びていって、おおよそ年間4000万円くらいの売上でしばらく推移していった。
まったく考えずに、このままの運営で行けるんだろうなと思ってました。
しかしリーマンショックが起こります。
2008年9月15日、アメリカの投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻します。
負債総額は6000億ドル、日本円に換算すると約64兆円に達した、アメリカ史上最大の企業倒産です。
そこからパッタリと仕事が来なくなります。
その当時の売上の30%くらいを中堅のハウスメーカーさんから仕事をいただいてました。
私の事務所では、そのハウスメーカーさんの埼玉県内全域と東京都内の一部地域での
宅地分譲事業の業務を行っていました。
そのハウスメーカーさんは、宅地分譲以外にも多角的にたくさんの事業をしていたんですけど、
その中の宅地分譲から撤退するということになりました。
つまり30%の売上がいきなりゼロになったということです。
毎週、同じ内容の電話がかかってくるんですよ。
「杉山さん、この度退職することになりました。お世話になりました。」
という電話がつぎの週も、そのつぎの週も、またそのつぎの週も電話がありました。
結局、15人くらいいた宅地分譲のチームは、あっという間に1人になりました。
そして最後の1人は、残務整理をしているだけといった状況です。
業界的には、どうなったかと言うと、土地家屋調査士の仕事が激減してダンピング競争です。
2社、3社の見積もりとなりますと他の土地家屋調査士がいくらで見積もりだしてます。
とか話が出ることもありますし、実際に他の見積書を見せられることもあります。
この見積もりより、安くしてほしいなんて言われることもあります。
そこには私では絶対に業務を受けない金額が書かれていることもありました。
当然、お断りをさせていただきます。
私の事務所では、基本的には値下げ競争には参加はしませんでした。
一度値段を下げてしまうと上げるのが大変ということは分かってました。
ここは我慢大会みたいなもんです。
どんどんお客さんは離れていくわけです。
最終的には、ハウスメーカーさんの30%の売上はゼロになって、そのほかの売上もほぼ半分になったということです。
結局、4000万円くらいあった売上は、最終的には1300万円くらいまで落ち込みました。
そのときに社員さんが2人いたので、結構厳しかったです。
その当時は、社員を解雇するのは悪であって、リーマンの厳しい時代を凌ぐのが美徳だみたいな風潮がありました。
リーマンショックからの教訓としては、
まず、安易に社員さんを増やさないということ。
つぎに、必要に応じて解雇という選択もあるということ。
そして、景気が良いときに現金をプールしておくということ。
最終的に、現金がなくなったら経営は終わりなんです。
3つ目は、酒を飲みすぎて人生転落モード
結局、社員さんとの関係が悪くなっていく中で、
リーマンショックで売上が激減しました。
毎日、毎日、飛び込みの営業、交流会の参加、チラシのポスティングなどの影響活動をします。
でも世の中自体が動いてないんで、全然結果がでない。
売上の大きいときに合わせて、経費をじゃぶじゃぶ使ってたのが、
経費を見直してもなかなか減らせないんですよ。
それで預金額が毎月100万円くらいづつ減ってく状態です。
それでも対外的には、平気な顔してた。
そこでストレスから、どんどんお酒の量が増えていって、さらに転落です。
お金もどんどん減っていくし、健康も害するし、人間関係も悪くなる。
あとは、本来は感謝しないと行けないお世話になった地元の超大物の人がいるんだけど、
その人に対して、若気の至りで結構な不義理をしてしまった。
それに対して、長い期間の攻撃を受けていた。
こっちはそのうち終わるだろうと思って放っておいたんだけど、
それが全然終わらなくて、こちらが謝罪するまで長期化したということがありました。
これもダメージといえばダメージだよね。
この辺は、話せば1時間くらいになるんだけど深堀りはやめときます。
そんなこんなで、売上も落ちてお金がなくなって、どん底に落ちていく、
仕事がなくて社員さんがいる状態なので、私自身は毎日やることがないんですよ。
なので、ただ未来を信じて、とにかく人に会うということをひたすら続けた。
飛び込み営業、交流会に参加、セミナーに参加、
でもそれがすぐには結果が出ないんだけど、後々効いてきた。
知り合った税理士さん、司法書士さん、不動産業者さんから仕事が来るようになります。
そして少しづつ、売上が回復して来た。
教訓としては、一度じゃぶじゃぶ増やしてい行った経費というのは、
なかなか減らせない。
特に固定費は減らさないので、景気が良いときにできるだけ増やさないほうがいい。
あとは社員さんは経営者と違って、危機感が違うんです。
社員さんに「経費を減らしてくれ」とお願いしても、伝わらない。
よほど事業規模が大きくならない限りは、消耗品の発注など、お金の権限は社員さんには与えないほうがいいのかなと思います。
開業から20年を振り返って、10年前後の期間が本当に厳しい時期でした。
今、思うと厳しい時期もいい経験だったと思います。
あの時があったから今の自分の考え方ができる。
チャールズチャップリンの言葉で、
「人生はクローズアップすれば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」
そのときは、苦しくても乗り越えてしまえばいい経験です。
つぎは、土地家屋調査士事務所の開業から20年を振り返る第3弾ということで、最終章。
今現在の事務所運営をどうやっているのかということ。
そして、これから先の事務所の方向性を話します。
今回も、ご覧いただきありがとうございます(^-^)/
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